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到着! King Crimson『In The Wake Of Poseidon』と『Islands』 [5.1chサラウンド]

待望の5.1chソフト、キング・クリムゾンの『ポセイドン』と『アイランズ』が先週届きました。
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ちょうど連休でもあり、落ち着いて聴くことが出来ました。
自慢にもなりませんが、この2枚、大好きというでもなく、何度も何度も聴いていた訳でもなく、明らかに避けていた2枚だということは正直に告白しておかないといけません。

どちらも、まず物理的に聴きづらい。小さな音が多くて適正音量が分かり難くて、途中で音量を上げると突然大音量になって驚かされる。慌てて下げると途中はまた音が小さくて上げたくなってしまう。だからLPで聴くとノイズが目立ってしまって、またイライラ。何とも素直に聴けない状況を生み出してくれます。CD化されてノイズのストレスは解消されましたが…。

そして内容がストレートに伝わって来なくて、これはロックか?という疑問が付きまとう。だから「プログレッシブ・ロック」であり、正に「プログレ」というピッタリのジャンルが用意されている訳ですが、一般的なロックとは全く異なる性質の音楽であり、一般的な概念では受け入れ難いということは私以外の方にも理解出来ると思います。

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『ポセイドンのめざめ』は『宮殿』のヒットを受けて作られたためか、『宮殿』の影が付きまとい、類似点があちらこちらに見え隠れして二番煎じの印象が拭えません。何とか『宮殿』に追付こうという意欲が空回りしている作品でした。

これが5.1chサラウンドに生まれ変わると果たしてどうなるのか…

これは『アイランズ』にも共通することですが、作品の存在感がより高まり、独自性が強調されて孤高の存在へ登り詰めてしまったかのようです。音量の大小はより一層強調され、全方向に配置される楽器・音源から攻め立てる、あるいは語りかける音は、ジャンルという区分けを完全に超越してしまっています。

そして聴き方というものを強制される、ということ。「聴く」という行為に没頭しないことには作品の本質もサラウンドの目的も聞こえては来そうにありません。最近は音楽があまりにも身近になり、耳を澄まして音楽を聴くという行為がちょっと忘れられていると感じるのですが、聴き手の積極的な姿勢が如何に重要かが試されます。存在するのは音楽だけ。聴き手が求めるものも音楽だけで、現代の生活の中に共存するような音楽環境に真っ向から対峙しているようでもあります。

この5.1chは、音源を聴くのではなく、音像を感じる、音像が見える、楽器が見える。

2chでは感じられない音像、あるいは楽器の姿が浮かび上がるのが最大の聴き所。音源・楽器のスケール感が2chとは全然違っています。2chにおける前方左右の音源の配置は平坦でスピーカーの間隔が広がりの限界ですが、5.1chでは楽器を全方向自由に配置し、音像を大きくしたり小さくしたり、近づけたり遠ざけたり、さらに通過させたりと2chでは表現出来ない音響世界が部屋一杯に広がります。2chでメリハリをつけるには音量の大小が重要な要素でしたが、5.1chでは音量に留まらず音像を大きくしたり小さくしたりが自由であるということ、これが予想出来ない効果を生み出す訳です。

最近はPCオーディオなどハイスペックな高音質が話題で、King Crimsonの日本盤もSHM-CDで発売されます。徹底的な音質の追求に目を奪われがちですが、さて「木を見て森を見ず」となっていないのでしょうか。マルチトラック録音の音源は原則として単独で録音されるものであり、音質追求は個々の音源の忠実度を競い合い、リマスター音源が出る度に個々の音源の音質にばかり関心が集まってしまっています。いや、集めようと仕組まれているのか…。果たして音源の研鑽ばかりを音楽ソフトのセールスポイントにしていいものか。重要なのは、まとまって出て来る全体の音響であることは言うまでもありません。

『ポセイドン』でちょっと分からなかったのは、DVD-Audioでは「Groon」がボーナストラック扱いではなく「Peace - An End」で終わらずに続いて出て来ること。どうしてなのかなぁ?

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今回の2枚の5.1chを聴くと、音源に施されたエコー/リバーヴを細かく設定されていることが顕著です。5.1chにせよ2chにせよ、マルチトラック録音された音源にミキシングで施された色づけは変更されずオリジナルのまま(飽くまでも印象のレベル)のようですが、サラウンド効果で浮かび上がる音像の大きさは全く違っています。エコー/リバーヴの掛け方を絞ったり、または左右に広げたり、さらに前後、全方向に広げて作られた5.1chの音源は存在感が違います。スケールが違います。この感覚、意識は、2chステレオの「前方絶対主義」にこだわる限り存在しないものです。『ポセイドン』『アイランズ』が「仮想した前方のステージで演奏している古典的な音楽」、クラシックやジャズやロックンロールと同類の音楽なのかどうか、一度考え直してみてください。マルチトラック録音は非現実な演奏を可能にした手法であり、必ずしも「ステージ演奏の形態」を再現するだけのためにミキシングされてはいないのです。ただし、当時、1970年代ではあくまでも2chミックスが主流であり、Robert Frippも2chステレオ以上の概念が存在していなかったのではないでしょうか。もちろん4chが既に実用化はされていましたが、無視したのかな?

2chミックスに不満がないし、5.1chは邪道だしスピーカーの置き場所も無いという意見は多い、というか残念ながら絶対多数。キング・クリムゾンの存在は単純なロックではなく、プログレであり、クラシックでもジャズでもない音楽志向は2chステレオという限定的な平面で表現しきれる音楽ではなかったのです。これこそ邪道。さらにiPodの世界、ヘッドホン・イヤホンの世界に留まっていては想像も及ばない音響という世界。既成概念に捕われないキング・クリムゾンの音楽には、既成概念に留まり続けている2chステレオの音響には収まり切れないということ。

音楽はイマジネーションを生み出すものであり、イマジネーションが豊かであればあるほど独自の世界が広がっていくもの。イマジネーションが豊かな方は、既に5.1ch以上の音響をイメージしているのかもしれません。イマジネーションは個人個人の経験に裏付けされるものです。そう、例えば1000人収容規模のホールのステージに立って、ディストーションを効かせたEギターをジャァ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ンと一発、大音量で鳴らした音がこのキング・クリムゾンの5.1chで聴ける、と言ってしまいましょう。大音量でも狭い練習スタジオで出すのとはちょっと違います。大音量と大音響が違う、ということです。

iPodなどの携帯プレイヤーでは聴けない音楽、ここにあり。
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