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デジタル時代の音楽 [本]

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本棚を整理していたら、こんな本がありました。
発行日は、左から1998年、1999年、2005年。
どれも買った時、一度しか読んでいませんでしたから、久しぶりに読み直してみました。今読んでも非常に考えさせられる内容でした。ほとんど忘れていた自分がちょっと情けない。

いちばん印象に残ったのは、真中の「レコードの虚像(ウソ)と実像(ホント)」。帯の通り、グールドとチェリビダッケの創作活動を軸に、レコード音楽(本ではウソ)とコンサート(本ではホント)の本質を探ります。クラシックファンであればご存知だと思いますが、グールドはコンサートを否定してレコーディングのみに創作を貫いたピアニストで、チェリビダッケは、逆にレコーディングを信じることなく拒否し、コンサートこそ音楽であると徹底的に信念を貫き通した指揮者です。二人にカラヤンを絡めれば、戦後のクラシック音楽の芸術表現と音楽家の信念が浮き彫りになります。




永遠のクラシック初心者である私にとってチェリビダッケは全く知らない指揮者でした。当然ですよね、レコード、CDを発売していなかったのですから。それが1996年、チェリビダッケの死後、多くの「ライブ録音」が正式にCD発売され、ちょっとしたブームになって初めて知った指揮者でした。

多くは聴いたことがないんですが、Ravel「Bolero」をDVDで観てビックリ。これまで観聴きしたものと全然違う、異質な世界でした。いい意味で違い過ぎて、異端と言えば異端だと思いますが、クセになる怪しい魔力があるんです。
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調べてみると、フルトヴェングラー 亡き後、ベルリン・フィルの主席指揮者をカラヤンと争ったのが彼。
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1948年の若きチェリビダッケ(左)、フルトヴェングラー その右。ナチス党員の問題でフルトヴェングラー 不在時代を埋めていたのがチェリビダッケで、後任有力説があったものの、執拗なリハーサルとレコーディング拒否が災いし、かつカラヤンの巧みな交渉力と政治力の前に破れ、カラヤンに主席の座を取られてしまいます。その後のレコード産業の驚異的な発展を顧みると、大きな運命の動きを感じざるを得ません。

チェリビダッケのチューニングは通常と違い、コントラバスから合わせ始め、全楽器が合うまでに約10分。徹底的なチューニングは、楽器が重なって生み出す倍音に対する彼の徹底したこだわり。確かに当時のSPでは難しかったでしょうし、LP、CDでも彼の耳では満足できなかったのでしょう。チェリビダッケが主張する本当の倍音の響き、聴いてみたかったです。

レコードの発売を拒否したチェリビダッケでしたが、その名を広く知らしめたのは死後、彼が絶対に否定していたレコード、CDだったというのは、いったいどう考えればいいのか。レコード、CDの在り方を考えさせられます。

これがチェリビダッケの「Bolero」(前半)何という遅いテンポ!

現代は便利な時代。何の苦労もなく音楽が目の前に現れます。しかし、チェリビダッケにとっては、自分の音楽が、こんな形で聴かれるのが絶対に認められなかったんだと思います。理解できる部分があることは、こんな私にも分かります。音楽と時間。一瞬で消える音。難しいなぁ…。

参考までにカラヤンの「Bolero」。

これだけで音楽の比較は出来ませんが、指揮法の違いは印象的。

レコードの中に真実があるポピュラーは、この本では除外され、クラシックのみが語られていますが、「大量複製」であるレコード音楽を見直すには最適の一冊だと思います。まだ入手も可能のようです。

レコードの虚像(ウソ)と実像(ホント)

レコードの虚像(ウソ)と実像(ホント)

  • 作者: 相沢 昭八郎
  • 出版社/メーカー: 朔北社
  • 発売日: 1999/11
  • メディア: 単行本


右の一冊も入手可能。
約4年前の本ですが、まだこの予測に追いついていないようで、いよいよデジタル音楽の見極めは難しいと感じます。

デジタル音楽の行方

デジタル音楽の行方

  • 作者: David Kusek
  • 出版社/メーカー: 翔泳社
  • 発売日: 2005/12/06
  • メディア: 単行本



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コメント 2

さよ

突然、お邪魔します<m(__)m>
フルトヴェングラーの名前だけは知ってました程度なので、コメントを書くのはおこがましいのですが、チェリビダッケの音楽はフルトヴェングラーを彷彿とさせられました。
音楽が重いです。音符のひとつひとつの意味を確かめているように。コアなファンが多かったでしょうね。
ご説明を読んでいて、ロックン・ロール(ポップ・ロックではない)のアーティストたちが、自分たちの音楽の神髄はライヴにあると語っているのが重なりました。
生きている、その瞬間のもの。だから、同じ演奏は二度と出来ない。
クラシックにも、そういう人がいたことを教えて頂きました。感謝です。

by さよ (2010-01-31 04:33) 

sowhat

さよさん

コメントありがとうございました。
アーティストが一音一音を大切に真剣に表現すれば、必ず聴き手に届くはずです。

手軽にどこでも音楽が聴ける現代ですが、試聴環境の自由度が広がっても、
音楽に対する考え方、価値観までもが軽く流される傾向は考え直さなければいけません。

> 生きている、その瞬間のもの。だから、同じ演奏は二度と出来ない。

勢いに流されることなく、入念に準備され練りに練った演奏を一度だけ演奏する。
こんな真剣勝負の音楽に感動しないはずはありませんよね。
それを録音しても、現場の真実までは記録できるはずはありません。

by sowhat (2010-01-31 10:49) 

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